若尾裕二の裏プロフィール

目安時間:約 13分

この方法なら、きっと大丈夫だと思っていただけるなら…

若尾裕二です。

 

当ブログをご覧くださり誠にありがとうございます。今日は、あまり普段は話すことがないことを書くことにしました。

 

「なぜ僕が今のような生き方に辿り着いたのか?」「僕の根っこの部分にあるお金に対しての意識はどういうものなのか?」

 

そういうことって、なかなか話す機会がありません。そのため敢えてアピールすることでもない話です。

 

でも今日は、僕の両親、そして兄に敬意を込めて・・・ 初めて腹を割って、僕という人間の深い部分のことをお伝えすることにしました。興味があれば、どうぞこの先をお読みください。

 

生まれてから18歳までの話

僕は高校3年生まで生まれ故郷の山梨県で育ちました。小学校5年生までは甲府市の二部屋しかない市営団地で暮らしていました。4人家族だったのですこぶる狭い!

 

だから小学校6年生の時に、現在の笛吹市に父が家を建てました。それから転校して新しい家で暮らすことになりました。

 

父は中卒で石材加工の職人でした。母は中卒で内職で洋裁の仕事をしていました。そして、3学年年上の兄がいました。決して裕福とは言えない家庭だったかもしれません。ですが、かといって貧乏というわけでもありまえんでした。若尾裕二はそんなごく普通の家庭で育ちました。

22歳の時、大学卒業間近に父が事故で他界

僕(若尾裕二)は、東京の私立大学に進学するために18歳で実家を離れることになりました。大学に進学してからは、夏休みなどの長期休暇もアルバイトの予定がありました。だから、実家にはほとんど帰らない状態になりました。

 

そして僕が大学4年生(22歳)だった時の10月に、父は仕事中に事故に遭い他界してしまいました。事故に遭い意識不明に… ほぼ即死のような状態でした。

 

運転していたクレーン車の片足がしっかりと止まっていなかったそうです。それでクレーン車が横転して挟まれてしまいました。そのことが原因による圧死だったのです。地元の新聞にも掲載されるほどの大きな事故でした。

 

その事故の原因として不注意だの確認不足だのと、赤いポストの金融機関からはいろんな難癖をつけられたようです。保険適用にはならなかったことを当時は母から聞かされました。

 

その時に僕は就職先が決まっていました。でも、母の状態を心配して、就職先の内定を辞退して地元に帰って就職しようと思いました。でも母は気丈にも僕にこう言ったんです。

 

「お父さんは15歳の時から小さい会社で働いていて、お前(若尾裕二)が大きな会社に就職することを喜んでいたんだよ。だから、お前は帰ってこなくていい。」 母にそう言われて、僕は結局、地元で就職先を見つけることはやめたのです。

 

父が他界してからすぐ母が病床に・・・

正直なところ、母のことは心配でした。ですが、山梨には兄がいました。当時の僕は、地元に帰りたい気持ちと帰りたくない気持ちのふたつの気持ちの中で心は揺れ動いていました。だから、母の言葉に素直に従うことにしました。

 

でも、その父の事故死をきっかけとして、母の体調がすぐに悪くなっていきました。精神状態がとても悪くなってしまったのです。でも、それは不思議な事ではありません。昨日まで普通に一緒に暮らしてきた父が突然いなくなったのですから・・・ 落ち込むほうがあたりまえでしょう。

 

家の中にだって父の物はたくさんあるし… 父が好きで飼っていた4匹の犬もそのままでした。父だけが家にはいなくて帰ってこないのですから、、、

 

そして、生活していくことへの金銭的な不安も、きっと感じていたのではないでしょうか? そういうことがあったせいか、かなり精神が病んでしまいました。それで、精神病院への入院を余儀なくされました。

 

父の死後、母は実家を離れて、近くに住む兄夫婦と同居をすることになりました。でも、兄の家には小さい子供もいたので、入院は仕方のないことだったんです。

 

そこに大きな問題がありました。心の病の場合は、ずっと同じ病院にいられることができないのです。だから、3か月ごとに転院を強いられたのです。

 

次から次へと受け入れ先の病院を探すことも大変でした。更にそれよりも入院させるための金銭的な面で、僕と兄は当時はとても頭を悩ませていました。

 

父が他界して10年後に最愛の母が他界

僕は就職した会社の配属先である新潟市から、週末には山梨へ毎週のように帰りました。新潟駅から大宮駅まで新幹線に乗る。次に大宮駅から新宿駅に出る。そして、新宿駅からは特急に乗り山梨まで行くのです。

 

往復の交通費だけでも1か月に10万円に近い金額になっていました。でも結局、母は元の元気な状態に戻ることはありませんでした。僕が31歳の時に帰らぬ人となりました。入院先の病床で、食べたものを喉に詰まらせて窒息してしまったことが直接の原因でした。

 

その当時は、僕は埼玉勤務になっていました。突然のことで母の死に目には会えませんでした。それは、父が他界してから、ちょうど10年目のことでした。

 

僕は父が事故で他界したときには、とても大きな不安を抱えることになりました。でも気丈にも涙を必死でこらえていました。「泣いちゃダメだ。母はもっとつらい。だから絶対に俺が泣いたらダメだ!」

 

唇を血が出るくらいまでグっと噛みしめて、両手の拳を強く握りしめながら・・・ 通夜の時も葬式の時も、鬼のような形相でグッと涙をこらえていました。でも、母の時は違いました。悲しみに耐えることができませんでした。

 

幼少時代の思い出が脳裏に浮かび涙が止まらなかった…

子供の頃に過ごした甲府市の二部屋しかない狭い市営団地での家族との生活・・・ 小学6年生になる直前に新築して引っ越した新しい家での家族との生活・・・ 父にしつこくお願いをしてキャッチボールをしてもらった思い出・・・

 

甘えん坊で中学一年生の時まで母と一緒に入っていたお風呂の思い出・・・ 毎年のお盆休みに千葉県の海に家族旅行に出掛けた楽しい思い出・・・ そして、家族4人で同じ屋根の下で暮らした日々・・・

 

そんなありきたりな日々の思い出だけど、、、 いろんな思い出が次から次へと脳裏をかすめました。僕は人目もはばからずに泣いてしまいました。悲しみをコントロールすることができませんでした。

 

泣きながら、自分の力のなさ、経済力のなさに、ただただ情けなくて悔しくて仕方がなかったんです。

 

この下の写真は家族4人の写真です。一番小さくて指をしゃぶっているのが僕(若尾裕二)です。残念ながら僕の記憶には、この時の思い出はありません。でも、父と母と兄と一緒に写っている宝物と同じ暗い価値のある一枚の写真です。

 

YWCトレードロジック事業部がトレード教材を販売する理由

 

もし当時、もっと金銭的にゆとりのある生活が送れていたら…

僕は今でも悔やんでいます。当時もっと金銭的な余裕があれば・・・ 母にもっとまともな治療を受けさせてあげられたからです。兄も僕も金銭的な余裕などなかったけど、2人で何とか母を入院させていたという事実・・・

 

その事実は消えることはなく、今でもあの時の負い目が脳裏にこびりついています。その後に兄と顔を合わせる機会があった時は、必ず当時の話をしていました。だから僕たち兄弟は、お金を稼ぐことの必要性を深く知っているつもりです。

 

大好きな母を経済力がないために、助けてあげることができなかったこと。そういう負い目があるから、そして、お金に困った時の苦しさを知っているから、、、 物欲をお金で満たすような考え方には今もなっていないのかもしれません。

 

僕は15年間勤務した会社を自主退職しました。それから、投資家、投機家、投資教育者として自分の足で立ち、今の僕の家族の生活を支えてきました。僕は、父や母を早くに失った。だから、自分でお金を生み出す力の必要性に、早い段階で気が付くことが出来ました。

 

そして、そういうことがあったからこそ、家族に対しては人一倍思いが強いのかもしれません。

 

家族に対する強い想い

弊社が開発をしたものの中には、僕(若尾裕二)の子供たちに継承させようと思って開発をした渾身のトレードロジックがあります。僕が経験したような惨めな思いを、我が子には経験してほしくないからです。

 

母に抱くイメージは、今でも僕が子供の頃にひっつき歩いていた優しい母。そして明るい笑顔の母のイメージしかありません。僕が今こうして存在しているのも・・・ 僕の子供たちが存在しているのも・・・ 母が僕を産んでくれたからです。

 

だから、やはり母は偉大な存在です。もちろん、僕にいろんなことを教えてくれた父や兄も僕にとっては偉大な存在です。父や母や兄がいたからこそ、僕という人間がいます。だから、父や母や兄がまぎれもなく、若尾裕二という人間の原点です。

 

あなたが大切にして守りたい人は誰ですか?

あなたが大切にして守りたい人は誰ですか? 何があってもその人を守り抜く自信はありますか? 僕はここに記したように、守りたかった母を最後まで守ることができませんでした。だから、今でも夢を見てハッと目を覚ます時があります。あの時にお金さえあれば…と。

 

今でも思い出しただけで悔しさと情けなさが胸にこみ上げてきます。あの時のその気持ちは一生消えることはないでしょう。将来的なお金ももちろん大切です。でもあの時ほど、すぐにでもお金が生み出せるような力があればと・・・ どれだけ望んでいたのかを思い出します。

 

だから僕はひとりでも多くの人にお金を増やしてもらえるように、投資教育の活動をしています。もちろん、お金を稼ぐ手段は投資や投機だけではありません。お金を増やすという手段の一つに、投資や投機という手段もあるということです。

 

夢を絶対に叶えることを心に誓いましょう

自分のことばかり考えて生きる人が多いこの世の中。そんな世の中で自分以外の人たちに対してどれだけの貢献ができるのかどうかは未知数です。

 

でも、とにかく世の中の役に立つことをいつも考えながら・・・ 後戻りはできない人生だからこそ、今を、そしてこれからを熱く生き抜きたい想いで、僕の心はいつでも沸々と煮えたぎっています。

 

そんな僕(若尾裕二)ではありますが、どんな時でも希望を胸に、夢は絶対に叶えることを心に誓い、共に良い社会の一員として前進し続けたい。もしこの僕の想いに共感してくださるなら、今後ともYWCトレードロジック事業部と若尾裕二を応援してくだされば嬉しい限りです。

 


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