若尾 裕二(YWCトレードロジック事業部)と申します。このブログへようこそ!
僕はFXの専門家です。勝てずに苦しんでいる人を助けるために活動を続けています。勝つために必要な情報提供を行います。そして、勝つ確率を高めることを約束します。
相場歴は34年目、投資教育を始めて19年目(2025年2月現在)を迎えました。もちろん、現役の投資家・投機家・トレーダーです。
今まで、勝てずに悩んでいる人を対象にして、難しくない方法での勝ち方を教えてきました。
ここに至るまで、実にいろんなことがありました。もし詳しく知りたければ、以下に自己紹介としてまとめています。ご興味あれば、どうぞお読みください。
僕が投資を始めたのは、1991年(平成3年)の6月からでした。最初は株式投資から始めました。始めたきっかけは、新卒で就職した会社の「社員持ち株会」に参加したことでした。
就職候補先として選んだ会社には、金融関連の会社はひとつもありませんでした。当時の僕には投資に関する知識は何もありませんでした。でも、就職してからすぐに自社株にと言えども、株式投資を始めることになりました。
まさか、その当時は僕の人生の中で、投資や投機がドドーンと中核を成すとは思いもしませんでした。ですが、今では投資や投機で儲けたお金で生活をしています。更には投資や投機を教えるまでの立場になりました。
その直接的な理由は「儲かったから」です。だから、投資家・投機家として生きていこうと心に決めました。それで、16年間勤めた会社を2007年に退社しました。
正式に会社を辞めたのは、2007年4月30日でした。その半年前に2006年12月21日に創業を果たしました。それから約4年後の2011年2月に、「魔法のライン」というFX教材をヤフオクで初めて販売しました。
そして、それからもひとつずつ教材を作り続けてきて今に至ります。これまでに開発してきた教材は100教材を超えるほどになりました。
現在は、「安心・信頼できるFXトレードのやり方で、日本中に明るい笑顔で生きる人々を、ひとりでも多く増やしていく」 これが、弊社の経営理念です。その理念と共に教材販売のほかにも、コンサルティングやセミナーも行うようになりました。
僕は主にブログとメルマガを中心にして情報を提供しています。YouTubeやFacebook、Xやインスタグラムでの情報も提供しています。でも、ブログやメルマガでの情報提供が中心です。
インターネットの世界ではよくあるように、顔も出さずに名前も公表せずに、ハンドルネームだけで活動するという選択肢もありました。ですが、僕自身はこれまでもずっと顔を出して、本名を名乗りながら活動を続けてきました。
たまに「どんだけ稼いでんだよ?」というようなご質問をいただくこともあります。でも、そのご質問に金額を持ってお答えすることはありません。なぜなら、僕の実績をこれみよがしに見せただけでは、あなたの儲けを増やすことはできないからです。
僕とあなたでは、当然ながら運用している資金額に違いがあります。他にも、トレードの知識やスキルや経験値がまったく違います。だから僕の実績をアピールしたら、少しは自慢にはなるのかもしれません。でも、それはあなたを儲けさせる理由にはなりません。
なので、他社様のように口座のキャプチャ画像を貼り付けて見せびらかすようなアピールは控えています。でも、その代わりにブログでは、あるトレード手法で取引した売買履歴を掲載しています。
どれくらいの値幅を利益にしているのか? 勝率はどれくらいなのか? そのことを公開しています。いつポジションを建てて、どこで手仕舞ったのかのリアルな履歴です。
そのトレードの売買履歴をチャートと照らし合わせて見てください。きっと、その利益が嘘かホントかは一発で分かるはずです。
2011年5月16日からずっと、勝ったトレードも負けたトレードもすべて包み隠さずに掲載してきました。なので、どうぞ隅々までジックリと確認してみてください。
「わけもわからない人間の発信している情報なんか信じることができない!」
そう思うことは不思議なことではありません。なので、もっと僕のことが知りたいと思うなら、さらに細かい経歴を綴っています。もっと知りたいのであれば、この先もお読みください。
【YWCトレードロジック事業部主催 少人数限定宿泊セミナー in 静岡】
僕は平成3年3月に日本大学の商学部商業学科を卒業しました。そして、その4月に東証一部上場企業の大手電機メーカーに就職しました。大学では商いを学ぶ学部に通っていました。そこでは、主に商品の流通に関すること、マーケティングや販売戦略などについて学びました。
そのため就職した会社では、予想していた通りで営業部門に配属をされたのです。ちなみに、就職先は大手の企業でした。なので、配属まで3か月間は研修ばかりの日々でした。大阪から天理、天理から東京へ、東京からまた大阪へなどと各地を転々とすることになりました。
ちょうどその研修期間中、、、 説明会で「社員持ち株制度」というものを紹介されたのです。毎月決まった金額とボーナス時には毎月の3倍の金額で、自社の株を買って小口株主になるという制度でした。
その当時はバブル崩壊時と重なる頃でした。そのため、株価はこれから安くなるだろうから安いときに買って持ち続けておけばいい。そうすれば、将来的には利益がかなり乗るだろう! そういう話だったのです。
そして、その社員持ち株会へ気軽に参加したことで、僕の人生の舵は投資家へと導かれることになりました。
当時の僕は、株式投資などにはまったく興味がありませんでした。でも、持っておけばお金が増えるというその言葉に魅力を感じました。だから「社員持ち株制度に参加をすることにした」のです。それが、僕が投資の世界に足を踏み入れるきっかけになった出来事でした。
ちなみに、僕が入社した会社の株式は、当時は1,000株単位での売買が基本でした。なので、当時の株価からすれば、最低でも200万円ほどの資金がなければ保有できませんでした。ですが、社員持ち株制度は月々1万円からの少額での投資が可能だったのです。
今にして思えば、月に1万円だけという少額からのスタートでした。でも、少額投資でも自社の株価の値動きは、毎日気になって気になって仕方がありませんでした。だから、僕は必然的に投資に興味を持ち始めたのです。それからは日々チャートを前にして格闘する日々が始まったのです。
それからの僕は、毎朝朝刊に掲載をされる株価の四本値を使って、手書きで方眼紙に日々ロウソク足を書くことを続けていきました。今の時代には信じられないことかもしれません。当時はパソコンもインターネットも普及していない時代です。
今のように、「自宅に居ながらパソコンを目の前にして、誰でもホームトレードが出来る時代」が来るなんて想像もしていませんでした。
あ、、、、、、もしかしたら、「仕事もろくすっぽせずに、株のことばっかり考えていたんじゃない?」 だから、「会社をクビになったんじゃないの?」 そんなふうに思っていませんか? だから、自慢するわけじゃないですが、ちゃんと仕事をしていたことはお伝えしておきます。
自慢するつもりはないので簡単に話します。実は、僕自身の営業成績は良かったのです。だから本社表彰されました。この優秀賞の上には、最優秀賞とシャープ大賞というものがありました。だから僕が受賞したのはオリンピックに例えるなら銅メダルクラスでした。
でも何にせよ、この表彰を受けてから、わずか2年もしないうちに、、、 「僕は投資家・投機家として生きていくために、会社を辞めることにした」のです。当時は僕の子供が小学生と幼稚園児で小さかったです。だから、親しい人たちすべてから猛反対をされました。
当然、上司や同僚や取引先にはあきれられました。「あいつはどうやら頭がおかしくなったらしい!」などと、影で噂されたりもしていたみたいです。それでも愛する妻だけは応援してくれました。だから僕の決意は揺らぎませんでした。
なぜか当時の僕には、「うまくいかなかったらどうしよう」などというような気弱な考えは頭に浮かんでこなかったのです。「絶対にうまくいくから」という強気な考えしか頭には浮かんできませんでした。
いま思えば、あまりにも周囲に反対をされていた。でも、それが飛行機が飛び立つ時のように、僕が飛び立つことを手助けする良い向かい風になっていたんだ・・・ 今ではそう思っています。
僕が会社を辞めて、まず最初にやったことは、当時保有していた株を売り払うことでした。投資家と生きていくためには、まずは生活するお金も必要でした。そして、投資や投機の元手が必要でした。そのために、まずはレバレッジが利くFXを主戦場として取り組むことに決めたのです。
2004年頃からFXは始めていました。でも、もっと投資や投機で稼がなくちゃいけない。だから、最初はFXトレードから始めることにしました。でもさすがに、最初から順風満帆とはいきませんでした。
特に最初は生活リズムも変わったこともあったせいか、トレードのパフォーマンスはひどいものでした。「稼がなくちゃ!」という気持ちばかりが先走りました。その気持ちのせいなのか、、、 それまで上手くやれていたことが嘘のように連敗続きの日々です。
しかも、会社を辞めて社会的な地位もなくなっていました。世間から見たらプータローと変わらないような生活です。何にしても当時のことは、あまり思い出したくない時代の話です。まさに暗黒時代が始まったかのような時期でした。
でも、勤めていた会社を辞めてしまったからには、投資や投機で稼ぐしか生きていく道は残されていませんでした。だから、苦しくてしんどくても・・・ 歯を食いしばって耐え忍んだことで乗り越えることができたのです。
それからもしばらくは、朝起きてから夜寝る前までパソコンの画面とにらめっこをする日々でした。妻にはよく怒られましたが、食事をするのもパソコンの前でした。
もうすでにトレードをご経験されているなら百も承知のことでしょう。それは、トレードで勝ち続けるためには、知識やスキルだけではダメだということを! 欲望がひしめき合う相場の世界はある意味、心理戦を仕掛けられているような錯覚にも陥るくらいです。やればやるほど心の振れ幅が大きくなるものです。
だから、僕には知識やスキルはもちろんですが、もっと多くの経験を積む必要がありました。なので、僕は投資心理を鍛えるために、アメリカNLP協会認定資格のNLPプラクティショナーを取得することを決意しました。
実際に投資書籍出版で有名なパンローリング社から、「NLPトレーディング 投資心理を鍛える究極トレーニング(エイドリアン・ラリス・トグライ著)」という書籍も出版されています。だから、NLPを学んだことは間違いではありませんでした。
そんなふうに、トレードに役立つだろうと思えることは、次から次へといろいろ吸収をしてきました。そして創業してから、あっという間に月日は、5年・10年・15年と過ぎ去っていきました。
僕のように投資や投機の教材を販売していると、自分が稼げていないから教材を売りつけようとしてるんじゃないか! 稼げる方法をどうして他人にわざわざ教える必要があるのか! そうよく言われることがあります。
でも、お言葉を返すようで恐縮ですが、、、 少なくともそのように考えてしまう人は、何をやっても大成することはできないと思います。もし世の中がそのような人ばかりだとしたら、過去からこの世界はここまで発展をしてくることはなかったでしょう。
だから、僕は世の中に貢献するために、僕のことを信じてくれる人のために、、、 そして、僕自身がこの世に生きた証や足跡を残すために、、、 投資や投機の教材を通じて人を育てていきたい。そのような強い想いがあるから、投資や投機の教材を手掛けてきました。
そのことで、ひとりでも多くの人たちが笑顔で生きてくれたら嬉しい。だからこそ、「安心・信頼できるFXトレードのやり方で、日本中に明るい笑顔で生きる人々を、ひとりでも多く増やしていく」 その経営理念を掲げて投資教育事業を続けています。
世の中に貢献したい。社会に貢献したい。ひとりでも多くの人を笑顔にしたい。明るく活力をもって生きる人をひとりでも多く増やしたい。後世にまで伝わるものを残したい。
そういう強い想いを胸に秘めた人たちがいたからこそ、今の世の中があるのではないでしょうか? そして、その強い想いを胸に秘めて生きている人は、今の時代にもこの世界中にいるのです。
もちろん、僕自身もそのように考える人たちの中のひとりです。その強い想いを込めて日々の情報提供にせっせと励んでいます。「この人は間違いなくそっち側の人間だ!」 そう感じてくれる人だけが、僕からの情報を受け取ってくれればいい。僕は心の底からそう思っています。
「どこの馬の骨とも分からない人の情報なんて信じられない。」 そう思う人もたくさんいるでしょう。僕自身がそういうタイプの人間なので、長々と私のこと、そして私の想いを綴りました。
もし、あなたがこれからも僕からの情報を受け取りたい! そう思うなら、こちらの全3回の録画版オンラインセミナーを無料でご受講ください。ぜひ、大きな希望を持って生きていきましょう。僕はあなたの成功を、本気で心から応援します!
YWCトレードロジック事業部 若尾 裕二
(楽曲所有権:YWCトレードロジック事業部 若尾 裕二)